牛丼の作り方 – 熟練者の技術と盛付け方
「牛丼屋の自動ご飯よそい機の使い方:第十九話」「牛丼の作り方 – 熟練者の技術と盛付け方:第二十話」を動画で見る
目次(小説)
牛丼屋の牛丼の作り方は特殊!肉盛りは熟練のなせる技
「牛丼を盛り付ける前に、必ず所々浮いている余分な脂をすくってください。」
先程上澄みをすくっているように見えたのは、実は脂をすくう行為だったようだ。これをやらないと油ギタギタの牛丼になってしまうらしい。ちなみにすくった油はろ過して本社工場に送られ、洗剤などに再利用されるとかなんとか。これがSDGsというやつなのか。
ここでいろいろ疑問を投げつけてしまうのは、今どきの若者の悪い癖だと、どこかで聞いたことがあるので、またの機会に聞くとして、今は牛丼の盛付けに全力で集中する。
「脂をすくったら、このお玉ー正確にはレードルと呼ぶのですが、これで鍋の中の肉煮をすくいます。
このように手首を使ってレードルの先を回すと、遠心力で肉煮が中央に集まります」
杉さんが店長の説明に合わせて、お玉を2・3度回転させると説明通りに鍋の中の具材がお玉に引き寄せられていく。
「一人分の牛丼の具が集まりましたら、素早くレードルを持ち上げます。それと同時に今度は丼を前に出して、滑るように肉煮を落とします。これで牛丼の完成です」
肉煮が丼の上で踊るようにはずみ、ご飯に盛り付けられた。お玉を持ち上げた時に、汁は滴り落ちていたはずなのに、やはり丼には一滴も垂れていない。しかし、何か特別なことをやっているようには見えない。これのどこが『最重要業務』なのだろうか?むしろ牛丼屋のアルバイトを始めて一番簡単な仕事のようにも思える。
「それでは、次は松野さんもやってみましょうか?」
そして俺は、この浅はかな考えが如何に愚かだったかを思い知る。
牛丼作りは経験の浅いバイトには任せられない
先程作った牛丼をお客様に提供するのと入れ替えに、俺と調理場のポジションをチェンジした。まずは飯盛り機でご飯を盛りつける。本当は大盛を食べる予定だったが、やはり最初は基本の牛丼の作り方を
確認したいため並盛の丼ぶりを用意した。
飯盛り機の下にご飯粒がないことを確認し丼ぶりをセットする。この確認をしないと、丼ぶりのそこにご飯が付着してしまい、「丼ぶり洗ってないだろ!」みたいなクレームにつながるため注意が必要だ。飯盛り機の『並』のボタンを押し、ご飯が盛り付けられる。かき氷のようにご飯が盛り上がっていく様は、やはりちょっと面白い。
肉煮が盛りやすいようにしゃもじで平らにするのだが、強く押すとお米がつぶれて硬くなってしまい、
しかも高さが低くなって、ご飯が少なく見えてしまうので、あくまでも軽くならす程度にする。次はいよいよ牛丼の肉煮の盛付けだ。
鍋の蓋をあけると大量の肉とタマネギが煮込まれている。間近に感じる牛丼の甘しょっぱい香りに意識が飛びそうになる。今すぐ牛丼を食べたい気持ちを抑え、まず鍋に浮いている余分な脂をすくって専用のろ過装置に移す。
左手にご飯の入った丼ぶりを持ち、鍋横に掛けられているレードルと呼ばれるやや大きめのお玉を手にして鍋の中に入れた。大量に煮込まれてるので、すくうのは簡単だと思っていたのだが、絶えず熱されている鍋の中のタレは流れができていてお玉に肉を集めることが困難だった。
「肉煮を盛り付けるチャンスは1回だけです。何度も繰り返すと丼にタレがたまってしまい、ベタベタの牛丼になってしまいますからね」
お玉に半分の肉煮が集まった所で、店長からアドバイスが入った。タイミングが良すぎて心の声が聞こえているかのようでかなりドキっとした。杉さんがお玉の先をクルクル回して肉煮を集めていたことを思い出し、見様見真似で試してみる。確かに遠心力の力で水に流れができ、肉煮が集まってきた。だがもう一度回すと今度は外側に遠心力がかかり、肉煮がおたまの外に出て行ってしまった。集まっては散り、集まっては散りを繰り返し、一向に一人前の肉煮が集まらない・・・
そうこうしている間に、店にお客様が一人、二人と入ってきてしまった。これ以上もたもたしていると、店の業務に支障が出てしまう。ええいままよと、通常の7割ぐらいの肉煮が集まったところで、お玉を持ち上げ盛付けの段階に進んだ。
だが、ここでも美味くいかず、お玉から肉煮がなかなか落ちず、何度かお玉をふって、具材が全部落ちたころには丼ぶりはタレが垂れてビタビタになっていた。完成した牛丼は、肉があちこちに偏って丼ぶりの内にも外にもタレが垂れた、見るも無残な姿だった。同じ具材を使っているはずなのに、盛付け方でこうも美味しそうに見えなくなるとは・・・・
牛丼屋の社員には牛丼の作り方を学ぶ実技研修がある
「お疲れ様でした。まあ初めてにしては上出来ですよ。」
店長のフォローの入るが、数分前まで楽勝と思っていた自分を思い出し恥ずかしくなる。
「実は感覚的に盛り付けているように見えますが、牛丼には本社から決められた基準があります。次回は今から言う注意点を意識して作るよう心掛けてください」
お客様の提供する牛丼5箇条
- 牛丼は白いご飯が見えないよう、満遍なく盛り付ける
- 牛丼の具の玉葱は八枚以上、花びらのように散らして盛り付ける
- タレはしみ込み過ぎないよう、レードルを上げた時に調整し15cc~20cc未満にする
- 丼ぶりの内・外にタレを付着させない。付いた場合は清潔な布巾でふき取る
- クイックメニューである牛丼は、ピーク時以外は1分以内に提供する
いつも食べている牛丼に、ここまで厳格なルールが決められていたことに驚いた。
「一目で『美味しそう』と思えない牛丼をお客様に提供してはいけません。牛丼は牛屋の看板メニューであり店の顔そのものであることを忘れないでください」
牛丼には先ほど挙げた5箇条に加え、『並盛の肉は●●グラム、玉葱は●●グラム、タレは●●cc』といった明確な規定量目があるらしい。計りもしないでそんなことができるものかーと思われるが、牛丼屋の社員には定期的に『肉盛りの実技研修』が行われ、そこでは実際に作った牛丼を計測し、目分量で規定量目で作れるまで講習を受けるらしい。
先程ごはんを飯盛り機で計ったが、機械の故障時に備えて、手盛りでも『並盛250g』といった規定量目が守れるよう練習するらしい。講習を受けた人たちは、計測器を使わなくても前後3g以内の牛丼を作れるようになっているとか。研修では公開演習もあり、規定量目以外にも、提供のスピードや接客時の対応、声、目線、表情までも審査されるらしい。
「私達、牛屋の店長は一杯の牛丼に想いを込めて提供しています。どうか、松野さんも牛屋の看板を背負っていることを意識して牛丼作りに挑んでください」
店長のそして牛丼屋の仕事に対する真摯な姿勢に感銘も受けた。改めて牛丼屋でアルバイトを始めて良かったと再確認した。
「あ、伝え忘れていました。社員は実技研修で牛丼の作り方を練習できますが、店内の具材はお客様に提供するものなので、アルバイトの方は練習できません。練習する時は、ご自身の従食の時のみでお願いしますね」
言われて目線を、自分が作った無残な牛丼もどきに戻す。そうだよね。自分が作ったものだしね。これ食べなくちゃダメだよね。SDGsdaだもんね。これくらいのスパルタクス、乗り越えてみせるさ!
一方・・・・
「ついに牛丼の調理方法を入手しました!これで私も牛丼が作れる!」
ふつふつと闘志を燃やす従業員、もとい従業キノコがいた。
彼の名はマッシュ。その存在は謎につつまれているが、内外には周知の存在で、主に商品の提供や配膳、テーブルの清掃を任せられているれっきとした牛丼屋牛屋のアルバイトである。接客など一通りの業務は教えられているが、こと調理場に関しては一向に振られることはないことに不満を覚え、いつからか『牛丼を作ること』が彼の夢になっていた。
「杉さん、新メニューの件でお話があるのですが、ちょっとよろしいですか?」
店長と牛丼屋のアルバイトの先輩の杉さんが、厨房前のポスレジの前のモニターに移動したことで、肉鍋の前が不在になる。
「今です!後輩の松野さんに先を越されましたが、ついに私も牛丼をつくることが!」
「牛丼のトッピングに『キノコチーズ』が追加されましたので、発注とポスレジの設定をお願いしたいのですが」
鍋一歩前で、マッシュの足のようなものが立ち止まる。鍋の中で牛肉と玉葱に囲まれて煮込まれている自分を思い浮かべる。
「さて、店内も落ち着いてきたようですし、テーブルの清掃でもしてきますか」
彼の野望が叶う日は遠いー・・・
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